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紀州釣りは心身の鍛練のために藩主が釣りをしたのが始まり!?歴史とともにたどる紀州釣りの変化の軌跡とは?

FISHING JAPAN 編集部

心身の鍛練ために藩主自らも釣りをたしなみ、武士たちにも大いに奨励したといわれるのが徳川御三家のひとつ紀州藩です。

その歴史は、遠く江戸時代の後期までさかのぼります。

今回はそんな紀州釣りの歴史をたどってみましょう!

紀州釣りは合理的な釣り!?

当時は今のような透明度が高くて丈夫なテグスなどなく、天蚕とか山繭と呼ばれる蚕の糸で作られた、太くて透明度の低い磨きテグスが使われていました。

このようなテグスを使って、昼間にクロダイ(チヌ)を釣るのはかなり難しかったようです。

そこで、太くて透明度の低いテグスをヌカダンゴの煙幕で隠す方法を考えついた武士がいたのです。

これがダンゴエサを使ったクロダイ(チヌ)のウキ釣りとして知られる紀州釣りの誕生のきっかけになりました。

ヌカダンゴは、太くて透明度の低いテグスを隠す役目だけでなく、エサ取りからサシエを守り、あらかじめ浅めに設定しておいたウキ下の効果で、ダンゴからサシエを飛び出させ、その動きでチヌに口を使わせるといった効果もあったのです。

このような合理的な釣りだからこそ、その釣技が現代にまで、 途絶えずに長く受け継がれてきたのでしょうね。

釣り方が数々誕生した!?

紀州釣りの基本はウカセ釣りにあるといわれますが、季節や水温、潮などの条件によって、その応用というべき釣り方が数多く誕生しました。

その手の内を「紀州釣り18手」と呼びます。

中にはハワセ釣りのように、今なお現役の釣り方もあるのですが、すでに消滅してしまった釣り方も数多いですね。

今では釣期などなくなったといえるほど紀州釣りは盛んでほぼ1年中行われていますが、昔は決して春の「はらみチヌ」は釣らなかったといわれています。

もっともオーソドックスな紀州釣りだとされているウカセ釣りのシーズンが始まるのはお盆を過ぎてからで、9月と10月が最盛期にあたり、早い年だと11月いっぱい、遅くても12月の半ばにはシーズンが終わっていたそうです。

掛け竿が使われていた時代

昭和30年代は釣りの黎明期でした。

それは回転式のリールが生産され、グラスロッドが誕生した時期に当たります。

それまでの紀州釣りは、長さ二間(約3.6m)とか二間半(約4.5m)ののべ竿を使い水深が3ヒロとか4ヒロもあるポイントを固定ウキで釣っていたのです。

ちなみに、1ヒロはだいたい1.5mくらいだそうです。

ウキ下よりも竿の方が短かったため、魚を掛けても取り込めないのは当然ですね。

ゆえに、この時代には魚を寄せて取り込むための掛け竿が盛んに使われていたのです。

のべ竿を左手に持ち、右手に持った掛け竿で道糸を掛けて魚を寄せる、まるで宮本武蔵の二刀流のような釣りでした。

関西で広がっていった紀州釣り

紀北を中心に盛んに行われた紀州釣りは、昭和の初期になると泉南から大阪にまで、その輪が広がりました。

当時、大阪の大関門周辺では、秋になると備中釣りか紀州釣りで盛んにチヌが釣られたといわれています。

そして、米ヌカをベースにしたダンゴは、昭和20年代までは米ヌカとアメかすを混合したものが使われていたそうです。

アメかすとは、大阪名物の粟おこしやアメ菓子を作るときに使う水飴を米や麦から作っていたのですが、この水飴を作ったときの残りかすがアメかすと呼ばれたのです。

やがて、釣り具も和竿からグラス、カーボンロッドへと進化し、スピニングリールが全盛の時代を迎えると、さらに紀州釣りも進化していきました。

そして、紀州釣りのキモともいえるヌカダンゴも、米ヌカ、砂、サナギ粉のベースは代わらないものの、時代とともにより集魚効果の高いものへと変化していったのです。

時代とともに変化していく釣りの歴史は非常に興味深いですね!

現代版ヌカダンゴの作り方はこちらをご覧ください。

紀州釣りヌカダンゴ作り方

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